諦観
機嫌が悪いと、てきめんに変なことがワラワラ出てくる。
普段起きないことが、やってくる。小さなことから大きなことまで。
笑う。
医院では、他人の評価は置いといて、良いメンツに恵まれてると思う。
まれに、機嫌が斜めになるが。
ちゃんとしてれば、改善が進む。
間違っても癇癪を起こさない。思ったことを真面目に素直に言うだけ。
そして、、、
機嫌が悪いのを自宅では控える。。
てきめんに、悪いことが吹き出すから。
ご批判覚悟で書くが、、、ちょっとだけ「諦観」を心がける。
でもね、、
「諦観」調べてみると、、ニュアンスが違う。
「諦観」は「ていかん」と読みます。
意味は「物事など入念によく見ること、本質をはっきりと見極めること、事態を察ること」です。
「諦める」といった字が入っていますが、意味には含まれていません 。
仏教用語における「あきらめる」とは、「物事の因果の道理を明らかに見る」ことでした。
仏教において「諦める」とは、物事への執着を捨てて悟りを開くことでもあります。
迷いや悩みがある場合に、その本質を見極め理解を深めることです。
このように、「諦める」とは本来とても前向きな意味でした。
それがだんだんと後ろ向きな「断念する」といった意味に変わっていきました。
へ〜〜。
よ〜〜し、諦めまくる!!!(相変わらず、能天気)