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2006年11月20日 (月)

学校とねずみの判断

仕事が人を作ると思っている。

職場が人を育てると思う。

知らないうちに、変る。

組織としての目標がゆがんでいたり、自分勝手だったり、世間からかなりずれていると、少数の良い人にとってはしんどい。

個人の能力で、乗り切れない場面はかなりあると思う。組織の中の社会人として立ち回るには、おかしな考えを受け入れざる負えないはず。

現場は、大変だろうが、もっと大変なのは子供かな?

マスコミに流れるケースは、稀かもしれないが、それが薄まったケースは、日常的に起こっているはず。

自分自身のケースで、考えることが最近あった。

変えよう!変ろう!と少しでも努力している組織や個人には、ものを言っても良いが、そうでないものには、アプローチの仕方を真剣に考えるか、何も言わないか。

乗る船を間違えたのかもね。

船は沈んでいくのかもしれない。ねずみの判断が必要な時。

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