区別と差別と口臭と
物騒な話は外国だけとはいかなくなる日が来るのかな?どの意見もそれなりに聞こえる。ある人が言っていた。
「人に、上下は無いが左右はある」
上下を差別、左右を区別と考えるのかな?区別を違いと置き換えてもいいのかも。違いがおおき(大、多)すぎると、解決策はないのかもね。
一人一人が違って当たり前。以前テレビで「リズム感の無い黒人(ちょっと不適切?)」のダンスの映像が流れた。インタビューに彼は
「僕のような人もいるんだよ!!」
確かにひどいリズム感で、気の毒な感があった。関西人が全て面白いのかと言えば、そうでもないだろう。くくりも大事だし、楽ではあるが、「違い」があると思っておけば、とりあえず、スムーズに・・・とはこれがいかない。
違いを共感するのはたいへん、ましてや違いを根にした気持ちを共感するのは無理だそうです。理解は少しだけ何とかなるかな?では何を理解する?
事実を理解する。
気持ちや心情を直接理解はできない。それに至った事実を解きほぐすしかない。コツがあったり、時間がかかったり、向き不向きがあったり。
人は理解してくれる人を好きになる。これは本当。
小さい頃から両親、友人、教師、同僚など、他人から沢山理解をもらってきている人は、理解されなれているので、スムーズなのかな?理解しやすい事実を行う体質なのかもしれない。笑顔、仕草、口調、姿勢などなど意識、無意識を含めての目に写ること全てかな?
当然逆の人もいる。
小さな行動の積み重ねが袋小路を作る。人は目で沢山情報をえる。見えている事実に、脳や、潜在意識は反応する。相手の発信が無ければ、何も起こらない。
人の振り見て我が振りなおせ・・振りね~
来週は口臭治療の研修。テクニックも、機材も必要。しかしそれは本でも学べる。診療をお休みまでして、現場に立つのは訳がある。気持ちを共感して欲しい人に最も親切な行動は?言葉は結構ダメちゃんみたい。
口臭治療もさることながら、日常臨床に、役立つかな?
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