バレンタインデーの夜明け
昨日スタッフにもらった、チョコと焼酎で、この文章を書いています。
バレンタインデーを始めて意識したのは、「中学2年」です。なぜ意識したのかは、いつか書くとして。田舎の学校なので、基本的にダサく、私自身、異常に幼かった気がします。当時の先生方も同じかな?大人も子供も初めてのバレンタインデーを迎えました。
校則が厳しい田舎の学校なので、以前に「バレンタインデー」の風習があれば、当然「持ち込み禁止の」お達しがあるはずですが、何もありませんでした。去年までは2月14日は普通の日でした。
なぜ1972年の五十市中学校に、バレンタインがはやったのか?わかりません。正月開けると、急にみんなの話題にあがるようになりました。2月といえば「鬼は外」しかなかったのに、カタカナの行事は「クリスマス」しか無かったのに、突如現れた「バレンタインデー」!!食べるものは、豆(落花生とビガー)では無くて「チョコレート!!」節分が2月の一大イベントから落っこちたのも1972年かもしれません。
女子の状況は今も昔も解りませんが(誰か教えて) 男子は戦々恐々です。今より明確に「好きな人にあげるらしい」というコンセプトはありました。「らしい」の時点で少し情けないのですが。誰も経験してないのですから、仕方がありません。「複数からもらうこともあるらしい!!」これは一大事です。物凄く、とんがった「ヒエラルキー」が2月15日には出来上がるのです。
粛々と過ぎる1972年2月14日。どうやって渡すのか?誰がもらうのか?誰が持ってきているのか?チョコは明治なのか?ロッテなのか?(ゴディバを知ったのは、バーでした。リキュールでした。30過ぎてました)チョコは「好き」の証なのか?もらった男子はどうするのか?意気投合した二人はどうなるのか?「明日はどっちだ!!」
自転車に乗って学校から家に帰ると、妹と母に「ハッピーバレンタイン!!」と値札つきの赤い「ガーナ」をもらいました。 食事の後に家族みんなで食べました。主役らしい僕は少しだけ多く食べました。バレンタインの夜明けは間違った形で、我が家を照らしていました。みかんと一緒にチョコは食べてはいけないのを知りました。
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