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2006年2月10日 (金)

浪人と音楽

Nagisa 予備校は福岡でした。宅浪も考えました。都城で宅浪していた同級生に聞きに行きました。「宅浪ってどう?」「別に自由にできるからいい感じだよ。学校嫌いだったし」私も彼と似た感じだったので、これは良いかな?と思いました。

「息抜きは何してるの?」と尋ねると「近所の爺さんと碁を打ってる」 ん~僕は碁が打てません。「それより、土持君いいもの買ったんだ、ほら!」

彼が見せたのは「マージャン牌」でした。私は麻雀ができましたが、彼はしなかったはず。それに田舎で宅浪の身では、面子もいないはずでした。「これで何してんの?」と尋ねると、「大学に入ったら、麻雀するんだ。だから暇なときに出して触ってるんだ、ルールは知らないけどね」

当然、雀卓はありません。雀マットも無く、コタツをひっくり返したうすい緑の布の面に牌を広げて、一人でかき混ぜて積み上げる、しかもルール無用。勉強部屋に響き渡る「牌の音」は僕が今まで聞いたなかで、一番楽しそうな「ジャラ、ジャラ」でした。

「土持君、時間あるかな?麻雀しない?」 僕は予備校に通いました。

福岡の予備校時代は人生で一番面白かった時期です。受験、浪人と言う見えないプレッシャーが味付けしたのかもしれませんが、毎日笑っていました。

テレビはありません。ラジカセは持っていましたが、深夜放送(ナッチャコパック)を聞くためにあるようなものでした。土曜日に「歌謡曲ベスト100」みたいなランキング番組はかかさず聴いていました。100聞くこと自体がダメな浪人生です。音楽をきちんと聞いていたのは、パチンコ屋の店内放送でした。写真の「渚のシンドバッド」も実際にピンクレディーが踊っている姿は見たことがありません。「ああああっん♪あああっん♪」を聞きながらチューリップ(懐かしい)を狙っていました。沢田研二の「勝手にしやがれ」で玉が少なくなり、中島みゆきの「道に倒れて誰かの名を~呼び続けた事が♪」を聞く頃に、場内放送で「小野寮の皆さん、晩ご飯です」と寮のおばさんの連絡が流れます。皆さんだったり個人名だったりしてました。

岩崎宏美の「思秋期」も大好きでした。オフコースの「眠れない夜」も浪人時代でした。そして浜田省吾の「路地裏の少年」。29年前の姪浜は、渋滞がちな国道1本と、平屋と狭い路地の町でした。車が入れない細い道が入り組んでいました。むやみに猫がいました。夜は真っ暗で、区画整理途中の平地に、文字通りポツンと1軒深夜営業のドーナツ屋があるだけでした。

浪人時代は浜省とは全然別の日本的に正当な「路地裏の少年」でした。

パチンコ屋に行かなくなって、20年以上経ちます。大学卒業の年に1年間少しだけパチンコをしてました。パチンコ屋を選ぶ基準は「好きな曲」が流れている事。磯に「竹内まりや」を聞きながら、「尾崎亜美」を口ずさみながら、「佐野元春」にノリながらパチンコできる店がありました。

冒頭の宅浪の彼は、医学部に入って立派な医者になっています。

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